2008年09月30日

栄光の軌跡 S54年~S57年

ドームチケ売り切れ祭りにうかれて忘れていました
nonnoの「さわってごらん、ジュリーだよ」から最後のページです
histr3.JPG

昭和54年 フェロモン全開期?
       パルコのCMは好みじゃありませんでしたが、光源氏はジュリー以外の誰ができよう  
       か、と思いました

昭和55年 写真集「水の皮膚」発売
       ジュリーズのエースとしても活躍。決め球はハエ止まりカーブ
        私のアカウント「メイ26」の26はジュリーの背番号だよ~。気づいてました?

昭和56年 「最後の日劇ウエスタンカーニバル」に、ピーを除くタイガース出演
       映画「魔界転生」で真田広之とのキスシーン
       6年ぶりの連続ドラマ「いつか黄昏の街で」出演。しょうもないドラマで、全然見てな
       かった。この時期のジュリーはサラリーマンには見えないもん

昭和57年  タイガース同窓会コンサート
        この頃のジュリーがいちばん好きでした。でも同窓会は見に行かなかった。
        ピーがいなかったから…

おまけ
posted by メイ26 at 21:47| 兵庫 ☁| Comment(10) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年09月21日

3人のおばちゃん

「小説現代」8月号 高田文夫さんのコラム「談笑亭日常」より

還暦を迎えた高田さんに
ジュリーから赤いカーディガンが贈られたそうです
「嬉しくて次の日着ていき、そのことをラジオで」言ったあと
ジュリーのバースディライブに向かった高田さん
公園通りで

「これ?ジュリーにもらったのは?」

「ちょっとさわらせて!」

と3人のおばちゃんに次々とカーディガンをひっぱられたそうです

ちょっと誰~?そんなことしたのは
公道でいきなり失礼じゃん
心当たりのある方は自首してください(^^ゞ

私服センスが◯★□なジュリーがどんなのを選んだのか
ちょっと興味はあるところですが
誰かに選んでもらったかもね
posted by メイ26 at 23:50| 兵庫 ☔| Comment(17) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年09月20日

栄光の軌跡 S48年~S53年

histr2.JPG

昭和48年 「危険なふたり」が史上初の和製ロックとして注目され、歌謡大賞受賞
      だがレコード大賞では大衆賞に甘んじ、ジュリーは露骨に不満顔を見せた

昭和49年 この年から真夏の全国縦断コンサートを始めた。
      1月にフランスのミディム国際音楽見本市 に出席。8月末~秋にかけロンドンとフランスでレコ
      ーディング     
      初のハワイ公演で8千人動員するなど海を越えての音楽活動が活発になる

昭和50年 「悪魔のようなあいつ」に主演し大好評。7月についに結婚。12月に暴行事件その1をおこす

昭和51年  5月、暴行事件その2で1ヶ月間の謹慎処分。ジュリーの歌手生活で最も辛い時期
        最も辛い時期はもっと後にくるわけですが…。でもこの謹慎がきっかけでした
       12月には「ジュリーin武道館」で金キャミを披露^^

昭和52年 昨年の汚名を返上するために精力的活動が開始された
       「勝手にしやがれ」で念願だった1等賞をついに掌中におさめ、受賞の瞬間、ジュリーからこ    
       ぼれおちた涙がファンの胸をついた。私も…(;_;)

昭和53年 4月に帝国劇場で「ロックミュージカル・天草四郎」を熱演
        この神懸かった美しさを写真媒体以外で残さなかったことが痛恨の極みとなり
        以後、すべてのライブを録音録画することにした、とジュリーが語りました
       紅白歌合戦ではポップス系歌手としてはじめてトリをつとめたが
       最愛の母、智恵子さんを亡くした


       
posted by メイ26 at 06:00| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年09月19日

栄光の軌跡 S42年~47年

引き続きnonno「さわってごらん、ジュリーだよ」より

histr1.JPG

昭和42年 「僕のマリー」でデビュー。一躍アイドルに浮上
        タイガース、やっぱり可愛いな~。当時は他のグループよりちょっと可愛い、
        ぐらいに思ってたけど、今見るとめっちゃ可愛い

昭和43年 メルヘン路線のリリカルな歌が続々大ヒット
       女性達のアイドルとして、GS界のプリンスとして幅広い活動が始まった
       ジュリーは20才。青春全開の年だった

昭和44年 メンバーのひとり、トッポが行方をくらまし脱退。サリーの弟シローが加入し
       新生タイガース誕生。この年からジュリーの作曲活動も本格的に始まった

昭和45年 4月、大阪万博ホール。6月、浅草国際劇場タイガースフェア
       8月、田園コロシアム野外ナイターコンサート。タイガースは次々と大きな公演を成功させ
       GS界のキングは不動のものだった

昭和46年 ファンに惜しまれつつ、ザ・タイガースついに解散
       新グループPYG結成。音楽的には進んでいたが不人気
        
「不人気」て。身も蓋もない(笑) しかも写真のキャプションには
        「GS時代のアイドルを寄せ集めた」PYG、と(^^ゞ

昭和47年 46年11月からジュリーはソロ歌手として活動を始め、47年「許されない愛」で
       レコード大賞歌唱賞受賞
       ライバルの萩原健一が出演する「太陽にほえろ!」に友情出演し好演
       役者としての芽も出始める
        

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2008年09月16日

僕の、ワンダフル・タイム 2

wtime2.JPG
nonnoの綴じ込み保存版「さわってごらん、ジュリーだよ」より

「50,60になっても新曲を出して、ヒットさせていたい」
「白髪の見つかる歳になっても、第一線で歌い続けるのが僕の夢」

赤いべべ着て歌ってる姿はタイガース時代には想像もしていなかったけど
この頃にはちょっとは考えていたみたいです(^^ゞ


ちなみにこの記事のタイトルは
当時流行っていた「さわってごらん、ウールだよ」というCMのもじりです
posted by メイ26 at 16:44| 兵庫 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年09月15日

僕の、ワンダフル・タイム

wtime1.JPG

雑誌non・noのジュリー特集。もうすぐ34才、と記事にあるので1982年ですね
記事が読める大きさにしたら、ちょっと画像サイズが大きいので2回にわけます

posted by メイ26 at 20:04| 兵庫 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年07月08日

半年後

ジュリー60年を振り返るシリーズ(笑)

gonin.JPG解散半年後の座談会で

zadankai.JPGこの人はもちろん現れませんでした

この頃は長いお別れになるとは誰も思わず、笑ってたんだよなー…
でも彼の決断は固かったのだ
posted by メイ26 at 21:27| 兵庫 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年05月30日

ピーピーピー

tiger1.JPG

なんじゃそりゃー、なタイトルですみません

皆さんのスイカ話で
ピーピーピーというコーラス部分があるという話を読んで
私の脳裏に浮かんだのは
ビージーズの「ホリデイ」のコーラス部分でした
あれはトッポのレパートリーですが
幼い私は「ピーの歌や~」と喜んでおりました(^^ゞ
ピーピーいうコーラスって珍しいですよね

ということでピーのことを思い出しながら
引き出しの中をゴソゴソしたら、なつかしい写真が出てきました
明星か平凡の記事だと思います
父兄同伴の図が可愛いです^^


これもファイル形式が間違っているのか
マイピクチャの内ではキャプションも読める大きさなのに
ブログにのせるとつぶれてしまう~。ので解説つけときます

写真上 烏山から新宿まで毎日、電車で通っていた、もう二度と見られないなつかしいスナップ。デビュー曲「僕のマリー」発売直前の42年2月のころ

写真中 「さあ、やるぞ!」希望に萌えてスタートをきった烏山の合宿生活。仕事は分担制でジュリー洗濯係、タロー会計係、ピー掃除係、トッポは寝床係、サリーはまとめ役

写真下 烏山を夜逃げして四谷に二度目の合宿生活。ここでも熱狂的なファンの攻勢にあって機動隊員が出る騒ぎ。またまた引っ越し

写真下左上 43年4月グアム島へ。南の島で5人は真っ黒になってあばれまくった。初のバカンス、初の海外旅行。忘れられない5日間

写真下左下 「オールドタイガース」と顔合わせ。親子10人が揃ったのは、デビュー以来これが初めて。43年4月大阪梅コマで 
posted by メイ26 at 22:39| 兵庫 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年05月09日

僕はタイガース

suponitikiji.gifこんなことしてたんだ。ジュリー
全然知りませんでした。いつ頃?
顔から判断すると「そんなんこんなん」の頃のような気がします
(大きさで年がわかるっつーのもなんだか)

井川や山東が出ていたのも2002年くらいでしたね
二人とももういないケド…(泣)

ネットでの拾いもの。

野球をあきらめたエピソード、よく出るけど
あきらめ早いよなあジュリー
まあ、ジャニーズに負けてるようじゃプロ選手は無理ですが(笑)
でも、歌手でプロになったおかげで
甲子園のマウンドに立てたということは
「甲子園に行きたい」という気持ちがずっと残っていたからかな
とも思います
夢は持ちつつづければいつか叶うのよ

だーかーらー

身体を引き締める(あえて「痩せる」とは言いません)
こともあきらめたらあかん
と、私は思うのだ
自分があきらめたらそこで終わりなんだから



記事内容を読む
posted by メイ26 at 23:24| 兵庫 ☁| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2008年03月16日

魔少年のようなあいつ

いつの記事だかわかりませんが、久世さんからジュリーへのラブレターです
一枚に収まらなかったので切り貼りしました
左→右へ読んでね

masyo1.jpgmasyo2.jpgmasyo3.jpg

魔「少年」ですか。27才でしたけど^^
まあ、久世さんの方が年上だから
いくつになってもカワイイかわいいなのね

posted by メイ26 at 19:10| 兵庫 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2007年10月11日

雑誌バラエティ・余談

9/20の記事
中島梓氏のことを「ほんまにファンやったんか?」
みたいなことを書いたんですが

偶然というかシンクロというか
ご本人がブログでそのことを書いておられましたわ
  ↓  ↓
http://homepage2.nifty.com/kaguraclub/2007-8-10.html

なんだ、やっぱり私が思ったとおりじゃん

この文章、高校生ぐらいの子が書いてるのかと思いました
でも記事の書き手を「私」って言ってるしなあ
と、ホームに戻ってみたら

本人かいっ!?

と驚いたしだいでありました
posted by メイ26 at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2007年09月22日

バラエティ③

baraety1.JPG大野克夫さんが語るジュリー

ここへきてまた完成されつつあると思いますね
彼の、自分を完成させるんだという意欲は凄いですね
彼のようになりたいと思ってもできないと断念しちゃう
彼はたぶん、はっきりと目標をつかんだと思いますよ
─彼は如来までいくんじゃないですか
自分自身でも、ぼくは如来になるべく生まれてきたと
思ってるかもしれない
「祈っててください」と言ったりね、
ステージで客に怒ったり叱ったり、沢田研二の口を借りて
誰かが言わせてると感じる部分がある

ぼくはここしばらく彼のしか書いてない
前には他の人のも作ったけど、沢田研二を愛する気持ちと
たとえば西城くんに曲を作るのはやっぱり違うんです
曲を作るときはね
─彼が作るならどうするだろうと考えますよ
彼になりかわって作ってるんです
彼は何も言わないからね。責任を感じますよ

─彼のバックで演奏してるときでもね
彼が間違えたら何小節でも待つぞっていう
そういう意気込みでやってる
( そ、そうでしたね。淡々と演奏を続けられてジュリーがオロオロするシーンがよくありました;;)

彼の周りにはいい友達が多いですね
一回つきあったらはなさない人間的魅力がある
一方で、どんな人間でも十年つきあってみると
どんな人間か、何を考えてるか、漠然とわかってくるでしょう
沢田にはそれがない。わからない部分がいつまでも残ってる

彼の歌を1日1回きくと気持ちがやすらぐ
いやなことがあっても忘れちゃう
彼の歌をきくことで恩恵にあずかるんだという
そういうとこまでいける歌手になればすばらしいことだと思う
(そういうとこまでいってると思います)
そしてその中の何分の一かのメロディが
ぼくの作ったものが入ってるということは幸せだなあ
と感じたり…ね


続いて井上堯之さん(あまりに長いので適度に省略)

GSっていいうのは、市民権をなかなか得られない、認められにくい存在だったですよね
だから沢田とやる最大限の魅力って言うのはそこだった
同じ反発を沢田に託したってことがある

歌謡大賞取ったときに「やめたい」と言ったんです
目標を達したから井上バンドをやめたいと
そしたら「カッコ良すぎる」と言ったんです、沢田が
「ぼくもやるから堯之さんたちももっと努力してほしい」と言った
反論したかった。でも、そうかと思ったんです
まだぼくを理解してもらえないなら、もっとやらなけりゃいけないと
で、ぼくは今後ともお前のために何の役にも立てないよ
それでよければやらしてもらう、と。
沢田は、それでええと言いました
まあその後で、何で僕の仕事をしてくれへんのや
なんて文句言ってたこともあるけど

伴奏バンドであること、伴奏バンドでしかないことへの
不満が高まったときには
ウォーターバンドのコンサートをするという形にして出した
僕らが胸はって沢田のバックをやるには
並のバックバンドじゃないと言われなければしょうがなかったんです

歌謡大賞のときね、ステージの後ろに並びながら
おれ人でなしなのかな、あいつと同じように喜べてるのかなと思ってた
その頃は、お互い一緒にいると重いなあ、って
沢田もね、ぼくらキライ同士でも何でもないのに
何かこう不自然やねえ、って言ってたことがある

その僕にとって決定的なことは今年(78年)の2月にあったんです
互いに何かがわかった

彼は何も発言しないけど、彼の歩いたあとがすべて形になっている
その歩いたあとに花がさいてるという
それをこう目の当たりに見続けていると
ある意味で、やればできるという勇気がわくし、希望がわくし

沢田はね、ただの男です
平凡で地味で、ステージ以外ではトロい男ですよ
JUST A MAN ─すばらしい「ただの男」なんです
それが見てる人に波動として伝わる
それがすばらしいんだと思う

結局、沢田のスタッフ全員がそうですけど
沢田が動かしてるんですよ。そういうことです

コメントでは冷めたような見方の堯之さんですが
実はジュリーにラブラブ
ジュリーが井上家に泊まった時、夜中にふと目覚めて
「なんてきれいな男なんだ」と寝顔にみとれていたらしい
それを聞いたジュリーは思わず

「何もしなかったでしょうね!?」

ジュリーの後にトイレに入ってもクサくないんだ
とかうれしそうに語ってたり

二人が不自然だったのは
堯之さんがアブない目つきをしてたから、じゃないのか?(^_^;)



 

posted by メイ26 at 22:03| Comment(4) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2007年09月20日

雑誌「バラエティ」②

uOp 134.JPG
この雑誌を取り上げようと思ったのは
ページを開いたときに
若き日の久世さんと阿久さんの姿があったからです
阿久さんは写真だけだったけど、
久世さんがジュリーのことをこう語っています


久世光彦

沢田のことでいい話があるんだ。あのね、沢田って奴はね
内田裕也とか、加瀬とか、その辺には
すごい自信を持ってるわけよ。愛されてる、っていうのに
すごい自信を持ってるのね。
で、沢田が、こいつ、落としてやろうと思うとき
どうすると思う?
たとえば、一緒に飯食うとするじゃない。すき焼きとか
そういうのを食うとき、飯の上に汁かけて食ったりすると
飯はこう─汚れるだろ、バッチクなるじゃないの
それを沢田は、それもういらないですか、って言うのよ
それぼく食べていいかなあ、って
俺の使った箸でさ、それをこう食べちまうんだよ
これはきくよ。俺はこいつの為なら死んでもいい!って
そういう気持ちにさせられちまうよ、こいつは

それからよく言うんだけど
沢田と二人っきりでエレベーターに乗ったときね。
こいつは困るよ、間が持たないよ。
一生懸命話題探したり、あっち向いたりこっち向いたり
するんだけどさ
エレベーターが1階から6階までいく十秒ぐらいの間がさ
どうにも間が持たない─具合が悪いわけだよ

俺は「悪魔のようなあいつ」とか、何回か奴を使ってるけど
考えてみると、
本当は別にそんなに沢田と仕事をしたいわけじゃないんだよ
ただ、1年に1回ぐらい声をかけとかないと何となく不安でさ
だけど、じゃあ本当のところは
沢田とどういう関係でいたいのかといったらさ
仕事なんかしなくていいんだな
まあ一月に1回か2回、局の廊下ででもすれ違ってさ、挨拶して
それでもって一年に一回ぐらい俺の残した飯でも食ってくれれば
それでもう十分幸福なんだよ、俺は。考えてみるとさ

ジュリーが落としてやろうと思ったかどうかはわかりませんが
久世さんはそれでオチたんですね
残したご飯を食べられて…
ジュリーは食べ物を残すのはもったいない、と思っただけのような気もしますが


posted by メイ26 at 22:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

雑誌「バラエティ」1978年


ブログ用 135.jpg
これ、レコ大とった後の正月コンサートの衣装だったかな
めっちゃ派手^^

本文中に本誌(バラエティ)とあったのですが、どういう雑誌だったかまったく覚えてません
中島梓氏のジュリー評と対談、ジュリー周辺の人へのインタビュー
の3回連載でした

当時中島女史は「ジュリーファン」を名乗っていたんだけど
どうなん?と思ったのがこの写真 
baraety4.JPG
絶頂期のジュリーの前で「頬杖」! しかも初対面で
こんな態度が「ファン」にできるのか!?
と、青い私は憤ったものですが



さらに対談の中で

「(コバルトの季節のなかでは)あれは売れたうちにはいりません、僕のなかでは」
と、ジュリーが言ってるのに
「普通に考えたらビッグヒットですよ」

コバルトは「私の好きなジュリーの歌ベスト5」にはいつも入る曲ですが
あれをヒット曲だとは私も認識しておりません!

てわけで中島氏の文章は割愛させていただきます(^^ゞ
興味のある方は読めるように画像のサイズは大きくしてみました

posted by メイ26 at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2007年09月09日

野球三昧

yakyu2.JPGやたっ!!
阪神がついに首位になった!
いぇーいパンチ

と、よろこんでいるわけではなく
ジュリーズのエース沢田くんが
3安打完封勝利した時の記事です
たぶん週刊明星だと思います
本職でもない、たかが草野球にカラー3Pの特集… ほかになんかなかったん?
源氏物語の頃らしいですけど
yakyu4.JPGyakyu3.JPGピッチングに比べて打撃は不調、だったとか

yakyu6.JPGyakyu5.JPGいったい何着ユニ作ったの、ジュリー?

↑このV2は阪神ではなく、レコ大のことです
右側はフジテレビ「オールスター夢の球宴」の時です。記事には
打っても投げてもトップの沢田研二 と書いてあります
私が見たときはけっこう打たれまくっていた記憶が…


yakyu1.JPG
最後にちょっと(相当?)若い日の勇姿も
タイガース時代からやってたんですね
ホントに野球好きなんやなあ、ジュリー

でもこの走り
スポーツマンには見えませんよね(^^ゞ




ジュリーと私が愛する阪神タイガースはいま
今季最大の正念場を迎えており、ファンは精魂こめて応援しなければなりません
ジュリーの昔話を掘り起こしている場合じゃありませんのよ(^_^;)

でもユニ姿ばかりではご不満もおありでしょうから
お口直しの画像も探してみました。これでいかがでしょうか
 ↓ ↓
ippuku.JPG


では、私はいざ東京ドームの首位決戦へ!
(…って、ラジオしかないやんか。日テレのあ◯ー!!。・゚・(ノД`)・゚・。)
posted by メイ26 at 17:46| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする

2007年09月05日

9月5日 神戸新聞朝刊から

井上堯之さんのインタビューです
uOp 115.jpg

ジュリーと袂を分かった理由は結局なんだったのかな
ひらたく言うと「TOKIO(の電飾)についていけなくなった」
のだということは後に言われてましたが

私は音楽の技術や理論のことはわからないけど
井上さんのギターは好きでした
ジュリーの曲でなくても、音を聞いただけで
「あ、井上さんだ」とわかりました

うちの兄が「井上バンドがバックやったらオレもあれくらい歌える」
とほざいてましたが(顔も声も違いすぎやんか!)
タイガースを離れてすぐ井上さんたちと一緒にやったことで
「タイガースのジュリー」に
なんとなく気後れしていた人とか、毛嫌いしていた人が
コンサートに来やすくなったかもしれません
オレは井上堯之のギターを聞きにいくんだ、という
大義名分がたつもんねえ

最初にこんな音を聞いてしまったから
中学生だった私も耳が肥えちゃいましたしね
贅沢でしたよ 今思うと

還暦コンサートでは堯之さん大野さん演奏してくれるかな




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2007年09月03日

ジュリー at野球場

スポーツ紙の芸能欄をチェックされている方は
多いと思いますが
スポーツ欄に載っていたジュリさんです
掲載紙はもちろんデイリースポーツです!)

日付が正確にわからないんですが
1枚目はたぶん2004年5月12日
uOp 114.JPG
東京ドームの巨人-阪神戦
ジュリーの野球話によく登場する浜中くんが
テーマ曲に「TOKIO」を使っていたんですが
ケガで離脱。結局このシーズンを棒に振ったという
実は阪神には縁起の悪いジュリーです
写真ではよくわからないかもしれませんが
このジャンパー、長嶋JAPANのやし(帽子は阪神)
巨人戦にそんなん着てくるから

(当時の)エース・井川が大炎上して負けたじゃないかー(ノ`□´)ノ

2枚目はその浜中くんが復帰して大活躍した
uOp 113.JPG2005年かなあ(帽子のロゴの感じから)
ヤフードームのソフトバンク-阪神戦ですね
しっかりスタッフパスをもらってます

たぶんこの日も負けたはず (-_-;)
でも浜ちゃんが元気になってよかった、とさ

posted by メイ26 at 22:28| Comment(2) | TrackBack(0) | 雑誌・新聞 | 更新情報をチェックする