2015年08月17日

ツアー初日

やっとやっとの初日ですね
私はあまりに待たされすぎて、しかも自分の初日までさらに待たされ
もうこのまま正月までコンサートなくてもやっていけるわ
という気になっておりますが
ジュリーサイトが賑やかしくなれば、また心浮き立つかも

いつものようにネタばれは極力避けようと思いますが
大阪フェスまでまだ二週間以上あるもんねー
マッサラな状態でというのはちょとキツイかも〜
しかも初日が月曜日でナイター中継がない。ヒマだw
当初の日程では初日から大阪まで一週間なかったから
ちょうどいい我慢のし具合でしたけど

お天気は全国的に大荒れのようですが
無事に初日を迎えられ、そして終わりますように
柱の陰からお祈りしております
フォーラムに行かれる皆様楽しんできてね〜
そして曲順は私に教えないでね〜(^^;)

posted by メイ26 at 14:52| 兵庫 ☁| Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
ぼくは、ツアーでは1回だけ行く習慣にて、昨日の東京立川市公演を観ました。今回は感想をスッと集約できません。(たぶん、実際に観賞なさると判りますょ)
そこで質問ですが…
ジュリーを出来うる限り観に行き続けますか?・それとも氏の年齢によって観に行かなくなる御考えは有りますか?
 ぼくの考え方では、68歳という数字が高齢者定義。
沢田研二68才期間が芸能生活50周年なので、それを観て以降は、ジュリーコンサート観賞を辞めてしまおうか‥という思いも有るんです。
氏が何歳まで・どんな形でLIVEを披露していくのかにもよりますけど、
その辺りをどのようにお考えになってらっしゃいますか?…参考に致します。
Posted by 鉛筆 at 2015年08月22日 20:01
♪鉛筆さん
>ジュリーを出来うる限り観に行き続けますか?
と聞かれれば答えはイエスです
出来なくなったとき、つまり観に行かなくなる時の
理由はいくつか考えられますが
年齢を理由にすることはないです。それだけは断言できます
もちろん自分の年齢も理由にはしません
でも年齢を重ねた結果、自分の体力気力が衰えたら
回数は減るかもしれません

ジュリーは私より年上だし、もう今は
こちらがやめるよりも、ジュリーがやめてしまう危惧の方が強いと思うのですが

それで参考になるでしょうか?

Posted by メイ at 2015年08月24日 08:06
はい、参考になりますょ。異性でほぼ同世代のかたの思いですからね。
 僕は今年度54才なので、沢田研二氏が五十代になって、表現形式を変えたり・何歳まで歌えるかを語るようになった…その気持ちが解り始めてきたんです。
アートとエロスは同じ種類の力ですから、表現者も鑑賞者にもアートをエロス的に堪能する限界や衰えはあると実感しつつあるということです。
年齢の数字ではなくて人間という生き物のサガを僕は受け入れ始めているんでしょうね、ジュリーのように。
 ただ‥最近のジュリーはユーモアであれ、御自分を「ジジイ」と言いすぎかなと感じます。
 greenboyライブ辺りから「いつまで歌えるか。70までは歌う」と語りだしたでしょ。だから、こちらもいつまで行けるかを意識しますよね。布施明さんなら80才まで歌えるでしょうけど、沢田さんはロックンローラーとして80才までは厳しいかもしれません。
 あと、ネタバレしないよう述べますと、ここ数年、沢田研二コンサートの整合性の美が保たれなくなっていますよね。具体的には、アルバムタイトルをツアー名にしてチラシ&ポスターもそのようにデザインしてる。そしてライブ鑑賞してみたら、そのイメージで構成されてなかったりとかがあるでしょ。‥昔のロックンツアーと比較しちゃいけないけれどもね。
 僕は絵心が有って審美主義者だから、バランスとか整合性の美しさも沢田研二に求めてしまう。
ゆえに、今のジュリーのセルフプロデュースによるアンバランスな面とか・自作詞の難点・鉄人バンドを従えてのひょうきんぶり、など、受容しかねる部分を感じています。人間味を率直に打ち出しているという捉え方もしてはいますけどね。
つまりは、彼の表現をどのように感受すればいいのか、戸惑い始めてるってことかな。
 だから女性のファンに質問してみたんです。
Posted by 鉛筆 at 2015年08月25日 01:57
♪鉛筆さん
私も10代の頃からずーっと同じ目で見続けてきたわけではありません
エロス的な堪能という面では、はっきり衰えていますw
鉛筆さんが受容しかねる部分もわかります
しかしそれ以上に、
半世紀近く歌い続けてきた歌手ジュリーへの愛おしさも生まれてきて
その終わりの日を見届けようという思いもあります
それは希望というより責務みたいな感情です
その感情が、かつてジュリーに恋した異性だけに芽生えるものなのか
そろそろ老後も見えてきた年代の共有意識なのか。それはわかりかねます

アルバムツアーとしての整合性という面では
震災関連の曲(かつてのオリジナルも含め)だけで構成すると
ライブそのものの様式が変容してしまうからかな?
自分の思いとお客さんの期待を
ジュリーの中でなんとか折り合いをつけている状態ではないでしょうか
震災がなかったら、また違った展開になっていたと思うのですが

私には音楽は楽しむためのもので、難しいことを考えたくはないのですが
ジュリーの思いは尊重するけど、すべて同調するわけでもないです







Posted by メイ at 2015年08月27日 01:19
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